Entries

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

イスラム教って?

 イスラム教についてこれを読まれている方はどのようなイメージを持っているのでしょう? どちらかというと、不明瞭な部分もあり正直なところ怖いと感じるかたもいるかも知れませんね。日本にいると、アメリカやヨーロッパのつまり欧米寄りの報道が中心ですから、イスラム教徒の人たちや宗教そのものについて正面から正しく理解できる機会が少ないのも現実ですから。
 ところが、実際にはとても洗練された宗教として、地中海を越えてヨーロッパに渡った時には、当時の上層階級の特に文化人がこぞってキリスト教から改宗したという節もあるそうです。イスラム教では偶像崇拝を行いません。唯一絶対の神様は、個人個人とつながっています。だからこそ、個人個人がその教義を理解し、ルールにのっとってお祈りをするのです。豚肉を食べないとか、1日に何回も礼拝するとか、断食の習慣があるなんてところが有名ですが、この宗教はすべての信者に対して実に平等なのだそうです。




 宗教は遠い昔の人たちの生きる知恵として生まれたと聞きました。アラブの砂漠で誕生したイスラム教は厳しい自然環境の中で生きて行く知恵を授けるために生まれたのかも知れませんね。厳しい戒律もすべて理由があります。知らないと不思議に思えたり、受け入れがたかったりしますが、相手を知る気持ちと理解する気持ちがあれば、不明瞭な部分は簡単にクリアにすることができます。マレーシアのイスラム教徒はとても穏やかで敬虔な信者さんたちです。女性が頭からすっぽりとかぶっているベールのような布も教義にのっとっていますが、これも義務という訳ではなく、個人の意識でかぶらない人もいるそうです。あまりいい印象をもっていない人もイスラム教ついてちょっと調べて見ると、目からうろこの発見があると思います。
 そう言えば、吉村作治先生のずいぶん前に書いた本の中にイスラムの話がたくさん出ていましたねー!題名は忘れましたけど、吉村先生が最初にエジプトに渡った時のことが書いてあったと思います。
 そうそう、子供のころのよんだアラビアンナイトなんてのもありましたねー!!

人生まだまだこれからですね。

 マレーシアの一行は名古屋に向かい、通訳のお手伝いは終了。
今回の対談を通してとても貴重なたくさんのことを学ぶことができました。
それは最近もういつまでも若くないんだなー!と感じていた思いを払拭することになり、「私などまだまだ子供!」と感じさせられたことです。
 何しろどの芸術家の皆様も日本を代表するような方々でお弟子さんもたくさん抱えている方々ですが、大家だからこそ、その年齢は大半の方が80代というご高齢。芸術と取り組んで50年などという方もいてびっくり!年齢から引き算すれば当然そのくらいの経験になるのだけれど、改めてご本人の口からお伺いするとその持続力と向上心にただただ脱帽しました。
 話の中に皆さん戦争時代の経験が飛び出しました。その悲惨さや辛さを久しぶりに体験者から伺いました。大勢の人が犠牲になり、物もなくなり、日本という国がぼろぼろの雑巾にでもなってしまったような時代です。そういえば、今ではあまり戦争の体験を口にする人が少なくなりましたが、私が子供のころは、祖父母や親戚のおじさん、おばさんからよく戦争の話を聞かされたものです。子供だった当時は「またかー!いやだなー!」と思うばかりでしたけれど、年齢を重ねたためか、私も少しは大人になったのか、素直にお話をお伺いすることができました。




 一方マレーシアは建国50年という若い国です。戦争の終結がマレーシアを日本を含め、大国からの呪縛を解き放ってくれました。当時のマレーシアにも日本の兵隊さんは進駐していて、現地の芸術家の先生のご両親は日本の統治下のことを覚えているそうです。そして今でも日本語を時折口にするとか。
 その時代を経て独立し、今は他民族国家として他民族、他宗教が上手に平和を守っている素晴らしい国を築いています。
 
 今回の対談を通して芸術をお互いのテーマにしながら、その根底にある最も大切なテーマ「平和と愛」を確認することになりました。また、生涯現役の皆様をお手本に、「私も生涯現役を目指して行きたい!」とまたひとつ人生に目標が加わりました。がんばるぞー!!

日本の伝統工芸は素晴らしい その1

 昨日ブログ作成の後行った対談はとても興味深いものでした。木目込み人形というくくりでお話しましたが、実際は桐の木の切り株から彫り下げて作成するとても高度な技術を必要としているものでした。
次期人間国宝の候補と呼び声の高い作家さんでした。丸太から彫刻して作成するこの木彫のお人形は手間もかかるため、年間に3体作成するのが限界だそうです。
お人形の作成に当っては、
1.顔
2.両手足
3.胴体
この順番で行うのだそうです。
大変素晴らしい芸術作品で、拝見したお人形さんも400万円ほどする大変高価なものでした。身体は大正時代の古布の上品な着物をまとい、腕に抱く猫は和紙でできていました。触ることはできなかったけれど、魂のこもった素晴らしい作品でしたよ。
 マレーシアの芸術家の方々は初日からこの対談を大変楽しみにしており、実際の対談もとても積極的且つ、有意義なものとなりました。
 彼らの国マレーシアは特にマレー系の人たちは、イスラム教徒です。イスラム教では偶像崇拝を行わないこともあり、マレーシアにあるお人形といえば、各民族の衣装を着たもので、お人形自体はあまりにも稚拙で芸術といえるようなものではありません。だからこそ、感動も大変大きく何とかこの素晴らしい芸術を後世の日本の人たちに受け継いで欲しいと切望されていました。
 しかし残念ながら、興味を持って教室に通ってくるのは高齢の方ばかりで、若い方がいないのが何よりも悩みだとのことでした。優秀な大学に進学し、大手企業に入ることが人生のゴールではないことに多くの人たちが気がつき始めています。人にはない伝統工芸の技術を身に付けてゆくことが人生の大きなゴールにつながるケースだって充分にあるはず。残念!私がもうちと若かったらチャレンジしたかった・・・
そうそう、着物の時代の日本を伝えるこの人形ですが、最近では着物を着ることが少なくなってきているので、着物について解らない人も多いようですよ。日本人の体系を最も上手にかつ美しく包み込んでくれる伝統の着物を多くの人がもっと着るようにしなければなりませんね。私も若いころ4年月賦でがんばって買ったものの、もったいなくて一度も袖を通していない大島紬・・そろそろ着てみようかな?でも出かけると汚してしまったら大変だし・・やっぱりまだしつけは取れないですね・・・

マレーシアからお客様が着ました。

 気が付くと今週も終わります。このところ心入れ替え、割といいペースでブログの更新をし続けていたのですが、またまたさぼってしまいました。ただし、今回は大いに言い訳ありです!
先月マレーシアに仕事で出かけた話を続けていますが、その出会いから突然マレーシアから来日している方々の通訳のお手伝いをすることになったのです。
成田空港のお迎えから始まって、今日まで毎日たくさんの日本を代表する芸術家の方々と、マレーシアの芸術家協会の代表者の方の対談のお手伝いです。
メンバーは建国50周年の一大イベントを主催している、政府の方々や芸術家協会の会長さんと役員です。タイトルだけ聞くと、とても緊張しそうですが、気さくな方々ばかりで、マレーシアそのものです。何とも大らかで笑顔が絶えません。時にはそれは訳してしまっては・・・なんてコメントもあって、時々私を困らせて楽しんでいる節はありますが、それも勉強逆に楽しんでいます。
今回のご縁のお陰で、私自身、普段触れる事の少ないたくさんの芸術家の方々と、芸術そのものに触れることができました。


 彼らは敬虔なイスラム教の信者さんです。毎日時間になると、手足を洗い、禊をしてお祈りに入ります。今回初めてお祈りする姿を拝見しました。祈りの時間は想像していた以上に短く、10分もかかりません。とても明るく大らかな人たちの中で楽しいひと時を共有させていただいています。マレーシアの人達が胸を張って、他民族が平和に暮らす国!という意味が実感を込めて理解できるような気がします。


 そうそう、アラビア語の書をなかなか眼にすることは少ないと思いますが、これがどうしてなかなか魅力的なものですよ。アラビア語の書道にも日本の書道同様に色々な書体や技法があるそうです。今度マレーシアを訪問したときには、その辺りも心の片隅に残しておいて素敵な作品を探してみたいなー!


後、対談は2名これから木目込み人形の先生との対談が始まります。また新たな世界との遭遇に心ときめかせています。
楽しみです。

マラッカ その1

KLから日帰りできる代表的な観光地に「マラッカ」という街があります。誰もが一度は聞いたことのある、マラッカ海峡の玄関口の街であり、中国とマラッカの王族の姻戚関係を結んだ街で、ここでマレーと中国文化の独特の融合体「ババニョニャ」の文化が生まれた。
マラッカの旧市街にはいまだに当時の街並みを残すとおりが残っており、20年くらい前までは、実際に骨董店が建ち並び中国から渡ってきた骨董などじっくりとみて回ると掘り出し物などにも遭遇することが出来た。





 現在は・・・いわゆるアジアのビーチリゾートのお土産物店ストリートといった感じで、目抜き通りは賑やかだけれど、一歩裏通りになると閑散としていて、中には家主を失い、廃墟と化している家屋もあり、何とも残念な限り。見た目は目抜き通りの店はどこもきれいに改装されていた。
このあたり独特の奥行きのあるまるで京都の町屋のような、ババニョニャ形式の家屋の大半は土産物店、レストラン、ホテルなどに変身していた。




 昔、20年くらい前は、このとおりの数件が事前に予約しておくと、住居を見学させてくれて間口が狭いのにパティオまで備えた建物にいたく、感激したのを思い出した。そう言えばそのころ、ツアーというとKLからマラッカに移動し、この街並みを散策しここでモンキーバナナを購入し、タンピンからシンガポールに抜けるという行程で、当時なんどとなくツアコンとして往復したなー!
それから月日が膨大に流れ、5年くらい前に再訪した時には街並みの保存すら難しいのではないかと危惧していましたが、街の景観だけは何とか保つことができたようです。護岸工事も進行中で、数年後さらに変化を遂げているのかも知れない。

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。